札幌市北区・中央区から通いやすい歯科・歯医者 「オリエント歯科」札幌駅西口から徒歩3分ヨドバシカメラ斜め向かいの歯科医院です
 
     
札幌市北区北7条西6丁目1-18
 
診療時間
月〜金 9:00~12:30/13:30~18:00
土 9:00~12:00
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今、語られる院長 安井丈富の半生

出生〜幼稚園

 
 昭和44年12月14日、北海道大学附属病院で生まれました。体重は2,300g、低出生体重児でした(いわゆる未熟児ってやつです)。へその緒を首に巻きつけて生まれてきたらしく、最初は息をしていなかったそうです。おいおい…
ですが、特に大きな病気をすることなく、スクスクと大きくなっていきました。小さな頃から愛想が良く、いつもニコニコしていたそうです。また、接客が好きなのか、誰彼構わず玄関先に来た人を「どうじょ、どうじょ」と、家に上げていたとか…。突然、新聞の勧誘さんが家にあがってくるんですから、母親はびっくりです。
父の診療室には小さい頃から出入りしていたらしいです。中でも傑作なエピソードは「おんぶ紐だっこ事件」でしょう。いつものように診療している中、ある患者さんをお呼びしに待合室へ行った時です。先ほどまでお待ちいただいていたのに、いらっしゃらない。会社の社長さんですから、急用でもできたのかしらと外を見ると…そう、僕をおんぶ紐で結わいて、抱っこしている社長さん。僕がおんぶ紐を手に待合室にフラフラやって来て、「抱っこしてくれ」と。何かいい時代だったんですね。
幼稚園は近所の小さなところでした。卒園児のしおりの「大きくなったら」の欄には、「歯医者さん」と書いてありました。理由は、お父さんの手伝いをしたいから、と。誰の入れ知恵かわかりませんが、泣かせます(その30年後、共に仕事をする様になります)。

 
 
歯科治療イス・ユニット に横たわる乳飲み子 
 
歯科治療イス・チェアーに座る幼児

小学校〜中学校〜高校

 
小さい頃から、絵を描くのが好きでした(父も絵を描く趣味を持っていましたので、何らかの影響があったのかもしれません)。ですから、らくがき帳と色鉛筆、クレヨンは常に手元にあったような気がします。そのせいか、小学校に入ってからは、漫画をよく描いていましたね。歯科医師として、「絵心」というものは結構大切なので、良かったなと思っています。
中学では、工芸部というところに所属し、棚やら机を作っていました。テニス部の練習を窓の外に見ながら、吹奏楽部の練習を調べに紙やすりをかけていたイメージです。僕はモノを作るのが好きみたいですね(この時の経験が、後にとても役立ちました。娘が小さい時に、おままごとのキッチンと冷蔵庫を作ったんです。我ながら、かなりの自信作でした!)。
高校は市内でも有数の進学校に進学。入学始めの実力テストで、中の上ぐらいだった成績も、あれよあれよという間に急降下(笑)。でも自由な校風で楽しく過ごすことができました。3年の時の球技大会でクラスお揃いのTシャツを作り、その時のイラストは僕が描かせていただきました。その時のコピーは「笑う門には 富久来たる(担任の先生との名前と「福」をかけています)」。この言葉は僕の一つの大切なキーワードになっています。ちなみにこのコピーを考えたクラスメートは、今は大手広告代理店に勤めています。さすがですね〜!

 

 小6の図工の授業で描いた摸写、葛飾北斎の神奈川沖浪裏
 
 中学、工芸部で机を作っているとき
 
高1のときの学生証

大学時代

 
父も歯科医、母も歯科医、母方の祖父も歯科医という環境は少なからず(というか非常に大きく)僕に影響を与えました。大学は歯学部を受験。父は当時、あまり賛成していませんでしたが、なかば強引に願書を送りました。結果は…ご多分にもれず、不合格。浪人決定。多くの友人たちも仲良く(?)落ちてしまったこと、実力的にも合格は難しいだろうと思っていたことから、さほど落ち込むことはありませんでした。
オリエント歯科は場所柄、近くの予備校生の方がいらしゃることも多いんです。そんな時は模擬試験などの日程を聞いたりして、なるべくその期間はテストに集中できる様に治療計画を考えたりします。そして、治療が終わった時には、「試験頑張ってね!」と声をかけています。雪が解け暖かくなってから、大学生としてまた来てくれた時は本当にうれしくなります。おめでとう、ってね。
僕の浪人時代、たくさん遊んで、それなりに勉強して、充実した時間だったなと思っています。
周りに心配をかけながら、一浪で無事北大に入学しました。父も母も喜んでくれました。母は泣いていましたね。
大学時代はお酒ばかり飲んでいた気がします。CDを激しく買い始めたのもこの頃です。ブラックミュージックに傾倒していきました。いわゆる名盤に触れた時は、やはり格別な気持ちがしました。Sly & The Family Stoneの“暴動”やMarvin Gayeの“What’s Going On”を初めて聴いた時の感動は、言葉で表すことができないですね。
さて、肝心の学業はというと、多くの学生がそうであるように(?)、テストの前に集中して勉強するという学生でした。級友にノートを借りたり、コピーを山ほどしたり…。でも、再試験はほとんど受けることがなかったんですよね。
しかし、病棟実習が始まると、さすがに緊張感をもって取り組みました。担当になった患者さんから「先生、学生なんですよね?そんな感じがしないですね」と言われた時は、本当にうれしかったです。

  

技工室にて:歯みがきしながら技工(同期友人の盗撮)
 
臨床実習:まだ緊張しながら歯を削っていたと思われる 
 
臨床実習:口外の実習にてオペ着を着る儀式

大学卒業〜大学病院勤務

 
 
大学を卒業したと同時に、かねてより闘病中だった母親が亡くなりました。いまだかつて経験したことのない、つらい出来事でした。

大学を卒業後は、母校の歯科補綴学第一講座というところに入局しました。ここは入れ歯を専門とするところで、当時は数ある講座の中でも厳しいといわれていたところです。なぜ、この講座を選んだのか?義歯や咬み合わせの勉強がしたかったから、病棟実習でその講座の先生方に非常にお世話になり、卒後の勉強をするには適していると思ったから。それと、やはりものを作ることが好きだからでしょうか。実は父もこの講座に籍を置いていたことがありました。北大歯学部創設期のことです。
僕の歯科医としての基礎はここで作られました。医局には8年間在籍。この間、臨床・研究・学生教育に従事しました。特に入れ歯・義歯治療についてはみっちりと基礎から叩き込まれましたね笑。素敵な先輩や後輩に恵まれて、楽しく医局生活を送ることができました。医局旅行のときには楽しすぎて、ハメを外してしまうことも度々でしたっけ(笑)。
また、診療は大学の附属病院だけではなく、多数の関連病院でも行いました。さまざまな歯科医師の先生、歯科衛生士さん、歯科技工士さん、そして多くの患者さんと会うことができました(ありがとうございます)。室蘭の日鋼記念病院では、補綴担当医として半年間勤務し、全身疾患を持つ方の歯科診療や医科との連携について多くを学ぶことができました。この時初めて、一人暮らしというものを経験しました。
ちなみに在局時に行なった研究は、総入れ歯の動きをコンピューター解析するという内容でした。ただひたすらコンピュータ上に座標を打ち込んで、総入れ歯を作っていくという作業が大変でした。

平成13年に結婚、平成14年には娘を授かりました。

 

 医局の先輩撮影のポートレイト(盗撮…笑)

 

半年間お世話になった室蘭日鉱記念病院歯科スタッフの方々と最後に記念撮影
 
 医局員時代に行なった有限要素法解析
 

オリエント歯科勤務〜院長へ

 
北大の講座を退局した後は、父のオリエント歯科に勤務。平成15年4月のことでした。親子で一緒に診療するとうまくいかないというようなことを、よく聞きます。意見が合わないことがなかったとは言いませんが、まずまず仲良く診療し始めたのではないでしょうか(父も色々と我慢していたのだと思います)。なぜ、父の病院に努めることしたのか。理由はよく分かりませんが、子どもの頃から漠然と考えていました。ですが、母が亡くなった時に、オリエント歯科を継ぐことをこころに決めました。
同年7月、今まで2階にあった診療室を1階に移し、リニューアルしました。当時、歯科クリニックらしくないデザインが流行り始めた頃かと思いますが、考えていた当初のコンセプトは「カフェ」でした。しかし、デザイナーの方と色々と相談しているうちに、居心地の良い空間を目指していたら、いつのまにか「実家」のようなウッディーな感じになっていました(笑)。診療室には父の描いた絵を飾り、来院された方々にも非常に好評です。季節ごとにこの絵は変えていますので、健診時期ごとに違う雰囲気が味わえます♪
平成17年4月には、二代目院長に就任。歯科医療は僕一人ではできません。歯科衛生士、受付ら院内スタッフらはもちろん、歯科技工士さん、歯科器材屋さん、医療機器メーカーさん、その他いろいろお世話になっている業者さんの協力なくしては成立しません。院長になってから、チーム医療の大変さと楽しさ、喜びを感じました。特に、理想の歯科医療を目指すには、スタッフとのチームワークが非常に大切だと感じました。
 

改装中の受付
 
改装中の診療室
 
ギャラリーのような診療室

 僕は大学病院では主に、被せものや入れ歯といた補綴と呼ばれる治療をメインに行なっていました。もちろん、それ以外の治療もしていましたが、開業医として自分を考えた場合に心もとないと感じていました。そのため退局後は、歯周病や矯正、インプラントだけではなく、本当に様々な講習会やセミナーを受講しました。経営や自己啓発のセミナーにも参加しました。そのため、週末には家にいなかったことも多かったように記憶しています。一度妻に、そんなことやっていると体壊すんじゃないとたしなめられたこともありました。

メモがどっかにいってしまうのを避けるためルーズリーフを使用し、年毎にバインダーで管理:字が汚くて判読が難しいこと多々

 そんな、平成18年11月下旬の月曜日の朝。前日もセミナーに参加し、今週も頑張っていこうと家を出ようとした矢先、突然とてつもないめまいに襲われました。何とか外を数歩歩くものの、壁伝いでなければとても前に進めない状態です。診療ができる状態ではなかったので、そのまま家に引き返し、急いで脳神経外科へ行きました。すぐにMRIを撮ってもらい、小脳梗塞と診断され、そのまま入院となりました。あと2週間ほどで37歳になるというときでした。生まれてはじめての入院(生まれた時は未熟児だったので、その時がはじめての入院かもしれませんが笑)。家族には心配をかけたし、オリエント歯科スタッフも困らせてしまいました。そして、通院していた患者さんたちにもご迷惑をおかけしてしまいました。結局ひと月ほど入院しましたが、幸い後遺症などもなく、日常生活や診療も問題ない状態で退院することができました。今まで当たり前のように感じていた、健康でいることのかけがえのなさを身に染みて感じました。また、入院していた病院の看護師さんらの献身的な対応に非常に感銘を受けました。

 
頭の後ろ側(写真の下方)に見える白くなっているところが壊死してしまった部位。目の出かたの方が気になる(笑)

 またある時、ひょんなことから母校北大歯学部同窓会の仕事をするようになりました。与えられたのは学術部という仕事で、講演会やセミナーを企画運営するというものでした。半ば趣味のように様々な講演会を聴いていたりしたので、ある意味僕に向いていたのかもしれません。自分で聴講した素敵な講師の先生をお呼びしたり、自分で聴いてみたい講師の先生の講演会を企画してみたりしました。僕は学生時代に部活動をしていなかったので、極めて他の期の先生方と繋がりがありませんでした。ですが、同窓会活動に参加することで縦のつながりができ、いろいろなことを教えていただいたり、相談することができるようになりました。また学生時代に僕は、同期の友達にノートを借りたり、試験の情報を教えてもらったりするばかりだったので、直接ではないにしろ、そのご恩を少しでも返したいとの気持ちがあったりします(笑)

年に1回開催している特別講演会のチラシ

これから

 
 僕も50歳を超え(そんな歳には見えないとよく言われますが…笑)、歯科医師になって四半世紀。自分が「歯科医師としてできること、やらなければいけないこと」も分かってきたように感じます。ただ、現状に止まっているつもりはありません。歯科医療は日進月歩、物凄いスピードで進化しています。遅れをとらないよう、学びを続けていくつもりです。

さらに、みなさまに喜ばれるオリエント歯科へ。
みなさまと私たちチームがお口の中から始まる全身の健康について共に考え、共に歩んでいきたいと思います。

 

orient(動詞) ①東向きにする ②正しい方向に置く ③方向づける
 「オリエント」はラテン語「昇りつつある(太陽)」を語源とし、原点を決め正しい方向に進むという意味を持ちます。オリエンテーションってありますよね。
皆さまお一人おひとりの現在の口の中の情報を正しくお伝えし、共に治療のゴールを考え、私たちチームと患者さんの二人三脚で治療を進めていきたいという想いを込めています。そして、さらにその先へ共に歩んで行きたいと考えているのです。

9:00~12:30 13:30~18:00
(木曜日13:30~14:30はスタッフミーティングを行っています)

9:00~12:00
※ 休診 日曜・祝日
 
011-746-3155

院長 安井丈富のブログです。医院でのこと、研修会参加、歯科に関する情報、プライベートなどについてつづります。